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子ども会は、小学校入学2年前より、中学校3年生までの地域を基盤とした異年齢の子ども達の集団です。
 その活動を支える指導者と側面から援助する育成者が必要であり、この子どもの集団と指導者、育成者を含めた総称として用います。
子ども会とは
 子ども会とは、仲間と活動を共有することによって、その子の、その子が参加している集団の、より望ましい成長を意図したコミニティ活動です。
家庭、学校では与えることの困難な、しかし、子どもの発達にとって不可欠な経験を与えることを目的としており、家庭学校はもとより、地域の諸機関、諸団体と強い連携を保ちながら活動を進めて行くことが大切です。
・・・・・・・・・・・・・・というわけで私達育成者一同は、最近の少年犯罪の低年齢化や、凶悪化を憂い地域の子ども達が心身ともに健康で明るく育ってくれることを願いながら活動しています。


真陽子ども会の歴史
 昭和52年当地区が長田区社協より小地域福祉活動堆進モデル地区の指定を受けたことをきっかけに庄田町1丁目自治会長中村清吉さんらの呼びかけで各町へお願いしたところ児童福祉の観点から、子ども会が次々に結成された。
昭和53年の名簿を見ると,真陽北ブロック(後の新長田ブロック)、真陽ブロック、庄駒ブロックと3ブロック総数も15団体(後19団体)1000人を超える子どもを擁し、育成者の数も200人を越すにぎやかさで,地域のエネルギーの源となった。雨後のたけのこのごとくあちこちで競って子ども会が誕生した。子ども会の新聞の発行や.育成者の研修、会議など熱心な指導者が各町で生まれた。
 やがて昭和57年、当時の近田幼稚園理事長近田近男氏を会長に、はじめて本部形式を取り活動の統一協力を推進することとなった。
 お年寄りから幼児まで三世代交流の運動会,神戸祭りには、山車、みこしなどを各町で競い合い、商店街を流し、新長田公園までのパレードに精を出し、町じゆう喝采を浴びました。
 あまりの大勢の参加で会場に入りきらず区の祭り委員会から縮小を要請される羽目になったくらいです。
そんなことがあって、平成元年に、真陽小学校で「真陽フェスティバル」に切り替わり、震災でも中断することなく、今につづいています。
 しかし子どもの数は,ご他聞にもれず減少の一途をたどりあれほど隆盛を極めていた子ども会も子どもの数が世話をする育成者の数より少なくなるという寂しいこととなりついには解散してしまう子ども会が次々に出はじめました.
 平成9年4月14日防災と福祉に強い街、高齢化社会に備えた街の若き担い手の育成として、共立ネットワークが誕生し、子ども会もその時、校区の子ども会として、統合し活動を一本化することとなった。
 長田区子ども会連合会も,校区子ども会の活動に注目しており、今の子ども会のあり方を考え直す、いいきっかけになればと育成者一同活動に力が入る所です。

                     

                  昭和57年〜平成7年連合会当時の旗現在も使用している。